2024年2月8日放送の『カンブリア宮殿』に、(株)サラダコスモの社長・中田智洋さんが出演されます。
中田智洋さんとは一体どのような学歴や経歴をお持ちの方なのかが気になりますね!
またテレビに出演するほどの企業の社長さんということで、その年収も気になります。
さらに中田智洋さんはプライベートでは結婚して妻がいるのか、また子供さんがいるのかなどの家族の情報についても調査してみました。
そこで今回は、
- 中田智洋の年収は?
- 中田智洋の学歴は?
- 中田智洋の経歴は?
- 中田智洋の妻や子供の家族情報
についてお送りします。
中田智洋プロフィール
中田智洋さんのプロフィール情報をお伝えします。
名前 | 中田智洋(なかだともひろ) |
生年月日 | 1950年7月 |
年齢 | 73歳 |
出身 | 岐阜県中津川市 |
職業 | (株)サラダコスモ代表取締役 |
では次に、中田智洋さんの年収についてみていきましょう。
中田智洋の年収は?
中田智洋さんの年収を調べたところ、具体的な中田智洋さんの年収額は判明しませんでした。
そこで株式会社サラダコスモの従業員数や行っている事業などから推測し、おおよそ5000~1億円ほどではないかと推測します。
引用:テレビ東京より 中田智洋
サラダコスモの従業員は820名。
企業規模が500人以上1000人未満の会社の会長報酬は平均約5,130万円とあるため、おおよそ中田智洋さんの年収もこれくらいであると推測します。
また、中田智洋さんはサラダコスモの他にも『株式会社ギアリンクス』の代表取締役も務め、年間さまざな場所で講演会も開いています。
そのためサラダコスモの年収がおおよそ5000万円、それ以外の活動で約5000万円ほどを得ているのではないでしょうか。
数年前に開かれた講演会で中田智洋さんは「毎日30万円の税金を納めている」と話していましたので、相当な年収額であることがわかりますね!
ちなみに(株)サラダコスモの社員の平均年収は約400万円だそうです。
(株)サラダコスモが本社を置く岐阜県の平均年収は約359万円のため、(株)サラダコスモの年収は平均以上ということが分かりますね!
中田智洋の学歴は?
中田智洋さんの学歴を調べたところ、こちらの情報が見つかりました。
- 高校:岐阜県立中津商業高校
- 大学:駒澤大学経済学部
中田智洋さんは岐阜県中津川市出身のため、小学校・中学校などは中津川市内の学校に通っていた可能性が高いと推測します。
高校:岐阜県立中津商業高校
中田智洋さんの学歴で、高校は岐阜県立中津商業高校を卒業されています。
岐阜県立中津商業高校の偏差値は43。
中田智洋さんは元々放浪癖があり、小学生の時には中津川市から400km離れた母親の実家(神奈川県・大船)まで1人でいったことがあったそうです。
高校生になるとヒッチハイクで富士山までいったという経験も。
岐阜県立中津商業高校卒業後は、駒澤大学経済学部へと進学します。
岐阜県立中津商業高校の著名な卒業生はこちら。
- 奥村政稔(プロ野球選手)
- 吉村典男(元野球選手)
大学:駒澤大学経済学部
中田智洋さんの学歴で、大学は駒澤大学経済学部を卒業されています。
駒澤大学経済学部の偏差値は47.5〜52.5です。
中田智洋さんが駒澤大学に進学した理由は、当時村で大学を出た人はお寺の和尚さんくらいしかいなく、その和尚さんがたまたま駒沢大学の出身だったため「いい大学だよ」とアドバイスを貰って進学を決めたんだとか。
実は実家の会社を継ぐよりも学校の先生になりたかったと中田智洋さん。
東大も早稲田も知らなかった純朴な少年は、入学してから仏教系の大学であると気づいたそうです(笑)
中田智洋さんは大学で主に倫理と仏教について学び、大学4年生の時にはインドからヨーロッパを4カ月もの長期にわたって旅行されています。
大学卒業後は、実家の父親が営む『中田商店』にはいりました。
中田智洋の経歴は?
中田智洋さんの学歴をご紹介したので、次に経歴についてご紹介します。
- 1973年3月:大学卒業で実家の『中田商店』に入る。無添加・無漂白もやしを開発。
- 1978年:父親が脳梗塞で倒れる。28歳という若さで社長に就任
- 1980年:社名を『ナカダ産業株式会社』に変更
- 1990年:社名を『サラダコスモ』に変更
- 2000年『ギアリンクス』設立に参画
- 2002年:オランダに合併会社『SALAD SPRUIT BV』を設立
- 2006年:岐阜県中津川市に「ちこり村」開園
経歴①大学卒業後~もやし専業にするまで
中田智洋さんは大学卒業後、家業のラムネ製造会社『中田商店』へ。
冬の閑散期には会社の副業としてもやし栽培を行っていたそうで、中田智洋さんは大学で学んだ仏教の教え「母親が子を思う気持ち」という発想から、消費者の健康を第一に考えた無漂白・無添加もやしを開発しました。
1978年に父親が脳梗塞で倒れたことから28歳という若さで社長を引き継ぎます。
しかし、この時代は大手清涼飲料水(特に〇カ・コーラ)の登場によりラムネ製造は衰退傾向に…。
そこで中田智洋さんは会社の副業としていた「もやし」の生産販売会社に事業転換することを30歳で決意します。
消費者の健康を考えたもやしが生協より評価され、徐々にスーパーなどへの直販・直送販路を獲得していくことに!
経歴②もやし専業開始~現在
中田智洋さんは1980年に社名を『ナカダ産業株式会社』に、1990年に社名を現在の『サラダコスモ』に変更します。
1990年代には消費者の健康を第一に考えた会社の製品(野菜)が評価され、1995年にはニュービジネス協議会「アントレー大賞」受賞。
1996年にはアメリカで無農薬のかいわれ大根のタネを100%自社生産したことにより、社団法人中小企業研究センター「グッドカンパニー大賞 優秀企業賞」を受賞しています。
そして2000年には、安全な食品開発及び緊急時には全力で食糧増産・調達を使命とする(株)ギアリンクスの設立にも参画し、代表取締役に就任します。
(株)ギアリンクス(社名の由来は、ギ=岐阜県、ア=アルゼンチン、リンクス=連携で岐阜県とアルゼンチンが手をつなげるという意味)は、岐阜県の食糧確保計画に呼応して、純粋な民間企業ながら、極めて公共性の高い非営利活動組織(NPO)の精神でアルゼンチンを生産活動拠点として、平常時は安全食品の開発、緊急時には全力を傾けて食糧の増産及び調達を使命とする企業として平成12年12月に設立
2002年にはオランダに合併会社「SALAD SPRUIT BV」を設立し、かねてよりの夢だった高級野菜「ファーストちこり」の輸入を開始。
国産化研究を重ね、2006年には岐阜県中津川市にちこりの生産見学、売店、レストランを兼ね備えた「ちこり村」を開園しています。
その後は、2015年に日本初の機能性表示食品「大豆イソフラボン子大豆もやし」を開発。
2016年~18年にかけては日本初のオーガニックスプラウト(緑豆もやし、大豆もやし、かいわれ大根、ブロッコリーの新芽、アルファルファ、豆苗)の有機JAS規格認証を取得します。
2017年には経済産業省の『地域未来牽引企業』に選定され、2020年末には、もやし・カット野菜生産で日本最大級の新工場(養老生産センター)を建設しました。
2023年9月には15万食限定で「ペヤングやきそば風もやし炒め」を発売するなど、中田智洋さんは現在もまだまだ現役でいろんなことにチャレンジし続けています。
サラダコスモから
「ペヤングやきそば風もやし炒め」🥢🥬
話題になっています😆#アスキーグルメ https://t.co/H1oasWk4BT— アスキーグルメ (@ascii_gourmet) September 12, 2023
なんとサラダコスモの本体は年商72億円、35年間黒字経営だそうです!凄い!
中田智洋の妻や子供の家族情報
中田智洋さんの結婚した妻について調べたところ、現時点では詳しい情報は見つかっていませんが、おそらく結婚して妻や子供などの家族がいる可能性は高いでしょう。
中田智洋さんは2024年現在73歳という年齢のため、もしかしたらお孫さんがいるという可能性も…!
もし中田智洋さんに子供がいる場合は、おそらく次期社長として中田智洋さんのもとで修業されていそうですね。
また中田智洋さんの妻や子供などの家族情報が見つかりましたら追記していきます。
まとめ
今回は「中田智洋の年収は?学歴経歴まとめや妻・子供の家族情報も!」と題してお送りしました。
中田智洋の年収はハッキリとした額はわかりませんでしたが、会社の規模や行っている事業などから年収5000万~1億円ほどではないかと推測します。
中田智洋さんの学歴は、高校は岐阜県立中津商業高校(偏差値43)、大学は駒澤大学経済学部(47.5〜52.5)。
経歴はこちらになります。
- 1973年3月:大学卒業で実家の『中田商店』に入る。無添加・無漂白もやしを開発。
- 1978年:父親が脳梗塞で倒れる。28歳という若さで社長に就任
- 1980年:社名を『ナカダ産業株式会社』に変更
- 1990年:社名を『サラダコスモ』に変更
- 2000年『ギアリンクス』設立に参画
- 2002年:オランダに合併会社『SALAD SPRUIT BV』を設立
- 2006年:岐阜県中津川市に「ちこり村」開園
プライベートな家族事情(妻・子供)については詳しく明らかにされていませんが、おそらく結婚して妻や子供などの家族がいる可能性は高いでしょう。