日本漫画界の巨匠・松本零士さんがお亡くなりになられました。
松本零士さんは子供の頃からマンガが大好きで、小学校の学級文庫にあった手塚治虫のマンガをきっかけに漫画家を志したそうです。
そんな松本零士さんの出身小学校・中学・高校、そして戦時中に疎開していた小学校などがどこなのか気になりますね!
また、松本零士さんは高校1年生で漫画家デビューをしていますが、漫画家としての経歴も気になります!
そこで今回は、
- 松本零士の出身学歴まとめ
- 松本零士の出身中学は?
- 松本零士の出身高校は?
- 松本零士の出身小学校は?
- 松本零士の漫画家デビューは高校1年生!
についてお送りします。
松本零士の出身学校まとめ
松本零士さんの出身学校まとめはこちらです。
- 中学校:小倉市立菊陵中学校(現:北九州市立菊陵中学校)
- 高校:福岡県立小倉南高等学校
- 小学校:大洲市立新谷小学校、小倉市立米町小学校(現:北九州市立小倉中央小学校)
松本零士さんは青春時代の大半を北九州で過ごしますが、小学校に入る頃は戦時中ということもあり、母親の実家があった愛媛県に疎開していた時代もありました。
松本零士の出身中学は?
松本零士さんの出身中学は、福岡県北九州市にある小倉市立菊陵中学校(現:北九州市立菊陵中学校)です。
引用:Wikipedia掲載 松本零士の出身中学・北九州市立菊陵中学校
松本零士さんの出身中学は、松本零士さんが名誉館長を務めていた『北九州市漫画ミュージアム』から1kmほどの場所にあります。
松本零士さんは小学校の頃からマンガが大好きな少年だったので、きっと中学時代も大好きなマンガに熱中していたことでしょう。
ちなみに、松本零士さんの出身中学である小倉市立菊陵中学校(現:北九州市立菊陵中学校)ではありませんが、同じく北九州市にある守垣中学校には、松本零士さんの作品が学校の壁画として飾られています。
通っていた中学校の校舎に描かれていた巨大な壁画が松本零士さんの作品でした。
登下校時、部活の時に毎日この光景を見ていたのは今考えると凄いことだったんだと思います。競馬場にしても、大学院の研究で通っていた北九州空港にしてもたくさんの松本零士さんの作品に囲まれて育ったんだなぁ。 pic.twitter.com/lydycO3ePI— Ryosuke KAJI/馬術写真家 (@photorkaji) February 22, 2023
ちなみに、守垣中学校はお笑いタレントの原口あきまささんの出身中学です。
松本零士の出身高校は?
松本零士さんの出身高校は、福岡県立小倉南高等学校です。
引用:グーグルマップより 松本零士出身高校の福岡県立小倉南高等学校
松本零士さんの出身高校である福岡県立小倉南高等学校の偏差値は55です。
松本零士さんは高校1年生の在学中に「蜜蜂の冒険」が『漫画少年』に掲載され、漫画家デビューを果たします。
1954年(昭和29年)、福岡県立小倉南高等学校1年生のときの投稿作「蜜蜂の冒険」が『漫画少年』(昭和29年2年号)に掲載されデビュー。そのときから中央でも既に知られる存在で、手塚治虫が出奔先の九州で原稿を描くときに高井、松本ら九州漫画研究会にアシスタントを頼んだというエピソードもある
松本零士さんは高校在学中の3年間の間に「毎日小学生新聞」に多数のマンガが掲載され、その名前は九州だけではなく、東京などでもすでに漫画家として知られた存在でした。
高校卒業後は大学には進学せず、上京して漫画家として歩んでいくことになります。
松本零士の出身小学校は?
松本零士さんの出身小学校は、大洲市立新谷小学校と、小倉市立米町小学校(現:北九州市立小倉中央小学校)です。
引用:人物事典より 松本零士
松本零士の出身小学校①愛媛県大洲市立新谷小学校
松本零士さんの出身小学校で、小学校1~2年生は愛媛県大洲市立新谷小学校に通っていました。
松本零士さんが小学校になったころは日本は戦時中でした。
松本零士さんは母親の実家があった愛媛県の大洲市新谷に疎開し、1~2年生の間は大洲市立新谷小学校に通っていました。
大洲市立新谷小学校の玄関には、松本零士さんの作品『銀河鉄道999』の原画をもとにした壁画が飾られています。
引用:ヤフーニュース掲載 松本零士
松本さんの母校・新谷小学校には松本さんから贈られた銀河鉄道999の原画をもとにした壁画があり、鉄郎やメーテルなどおなじみの登場人物が今も後輩たちを見守っています。
引用:ヤフーニュース掲載 松本零士
ちなみに松本零士さんの代表作である『銀河鉄道999』は、大洲にかつて走っていた旧国鉄・内子線がモデルになっているんだとか!
松本零士さんの作品のルーツは、疎開時代の思い出からなんですね。
松本零士の出身小学校②小倉市立米町小学校
松本零士さんの出身小学校で、小学校3年生からは小倉市立米町小学校(現:北九州市立小倉中央小学校)に通っていました。
出身中学の小倉市立菊陵中学校(現:北九州市立菊陵中学校)と同じ学区にある小学校です。
松本零士さんは終戦後に家族で福岡県の小倉へと移り、小学校3年生から小倉市立米町小学校(現:北九州市立小倉中央小学校)に通います。
小学校時代からマンガが大好きな少年で、小学校時代に学級文庫にあった手塚治虫さんの作品を呼んだことをキッカケに漫画家を志します。
松本が漫画家を志した理由は彼が小学二・三年の頃にあった学級文庫である。それは手塚治虫の漫画『新宝島』『キングコング』『火星博士』『月世界紳士』であった。
出身小学校の学級文庫に手塚治虫さんのマンガがおいてなかったら、もしかしたら松本零士さんは漫画家になっていなかったかもしれないですね!
松本零士の漫画家デビューは高校1年生!
松本零士さんは先述したように高校1年生で漫画家デビューを果たします。
デビュー後は北九州出身の漫画家として一大ムーブメントをおこし、小学校から中学、高校と育った北九州に恩返しをするべく後世の育成や故郷のために尽力されました。
松本零士さんの高校1年生で漫画家デビューして以降の経歴はこちらです。
引用:PKBオンライン掲載 松本零士
1954年(高校1年生) | 「蜜蜂の冒険」が『漫画少年』(昭和29年2年号)に掲載されて漫画家デビュー |
1954~1957年(高校在学時) | 「毎日小学生新聞」に多数のマンガが掲載される |
1957年 | 高校卒業後、月刊少女雑誌『少女』での連載が決定して上京。『少女』と『少女クラブ』に不定期で描く少女漫画家となる。 |
1960年ごろ | 青年誌にも進出 |
1965年以降 | ペンネームを本名の「松本あきら」から「松本零士」に変える |
1972年 | 『週刊少年マガジン』に1971年から連載した『男おいどん』で講談社出版文化賞を受賞 |
1974年 | 秋から放送されたテレビアニメ『宇宙戦艦ヤマト』に企画途中から参加。 |
1977年~ |
|
1982年 | 『わが青春のアルカディア』、『わが青春のアルカディア 無限軌道SSX』を最後に松本零士ブームが終わる |
1980年代後半 | 宇宙開発事業団などさまざまな団体の役職に就任 |
2006年 | 宝塚造形芸術大学(現・宝塚大学)のメディア・コンテンツ学部の教授に就任 |
2012年~2021年 | 「北九州市漫画ミュージアム」の開館にともない、名誉館長を務める |
松本零士さんはSF漫画家として有名な人物ですが、実は高校卒業後は少女漫画家として連載を書いていたりと、さまざまなジャンルのマンガを描いていました。
『宇宙戦艦ヤマト』をキッカケにアニメ制作に本格的に参入し、1970年代半ばから1980年代にかけて松本零士ブームを巻き起こします!
この頃に『銀河鉄道999』『宇宙海賊キャプテンハーロック』が誕生します!
ブーム終焉後は後世の育成に力を入れ、2006年には宝塚造形芸術大学(現・宝塚大学)の教授に就任。
その他にも、京都産業大学客員教授や、デジタルハリウッド大学特任教授も歴任しました。
また、松本零士さんは故郷の北九州のためにも尽力され、北九州にある「北九州市漫画ミュージアム」の名誉館長も務めました。
まとめ
今回は「松本零士の出身中学高校小学校は?漫画家デビューは高校1年生!」と題してお送りしました。
松本零士さんの出身学歴一覧はこちらです。
- 中学校:小倉市立菊陵中学校(現:北九州市立菊陵中学校)
- 高校:福岡県立小倉南高等学校
- 小学校:大洲市立新谷小学校、小倉市立米町小学校(現:北九州市立小倉中央小学校)
松本零士さんは北九州出身の漫画家として高校時代にデビュー。
その後上京してからは少女漫画など様々なジャンルのマンガ連載を務め、『宇宙戦艦ヤマト』のアニメ制作をきっかけに一大松本零士ブームを巻き起こしました。
1982年以降のブーム終焉後は後世の育成や故郷の発展のために尽力しました。