日本を代表する女優・奈良岡朋子(ならおかともこ)さんがお亡くなりになられました。
奈良岡朋子さんには2歳年上の兄がいることがわかっていて、父親は洋画家として有名な奈良岡正夫さんですが、その他のご家族についてはどんな家族構成なのでしょうか?
また、奈良岡朋子さんの自宅についてもどこなのか気になる方が多いようなので、併せて調べてみた結果、とんでもない場所に住んでいることがわかりました。
そこで今回は、
- 奈良岡朋子は兄がいる
- 奈良岡朋子の父は洋画家
- 奈良岡朋子の家族構成は?
- 奈良岡朋子の自宅の場所はどこ?
についてお送りします。
奈良岡朋子は兄がいる
奈良岡朋子さんには兄が1人いて、名前は奈良岡正博さんです。
奈良岡朋子さんの兄は著名人ではないものの、今回奈良岡朋子さんの葬儀で喪主を姪(兄の娘)の丹野郁弓さんが務めたことで注目されたようですね。
上記の写真は2021年のもので、奈良岡朋子さんの兄・正博さんは当時93歳とあります。
2年前に93歳ということは現在ご存命なら95歳ということになりますね。
奈良岡朋子の父は洋画家!
奈良岡朋子さんの父は奈良岡正夫さんという方で洋画家でした。
奈良岡正雄さんは青森県弘前市出身で、初入選が37歳という遅咲きの画家です。
奈良岡朋子さんは父親の影響で女子美術学校に進学します。
特段兄については情報がないため、奈良岡朋子さんの兄は父や妹のように芸術系の道には進まなかったのかな?と思われます。
奈良岡朋子の父は遅咲きの画家
奈良岡正雄さんは1903年(明治36年)生まれの青森県弘前市出身です。
画家を志して一度上京するものの家族に連れ戻され、1925年(大正14年)の22歳の時に再び上京し、独学で絵画を学びます。
引用:facebook掲載 奈良岡朋子さんの父・奈良岡正夫さん
第二次世界大戦中は従軍画家として戦争記録画を制作し、戦後は自然や東北を舞台にした題材を描きました。
戦後は、放牧されている牛や山羊、青森のねぶた、奥入瀬などを題材に描いた。
あとは奈良岡正夫
この方は弘前市内の色々な所で見かける事はありますが纏ってみる機会はあまりないのではないでしょうか
こぎん雛の後ろには弘前に南画を伝えたとされる毛内雲林の屏風 ↓ pic.twitter.com/W7m2dsrEL8— H-Art Seed Project (@H_ArtSeed_P) March 6, 2019
弘前出身画家、奈良岡正夫、工藤甲人の作品。いつでも誰でも観ることができます。さてどこに飾られてるでしょう? pic.twitter.com/mjUIHmNoK3
— 弘前で体重半減化計画進行中 (@120to60kg) April 5, 2022
本当は自然を描くことが好きだった奈良岡正雄さん。
従軍画家時代は書きたくない題材を描かなければいけない状況にかなり苦悩されたようです。
父親が、従軍画家として描きたくないものも描かねばならない苦悩を抱えていたことも理解している。
引用:ヤフーニュース掲載 奈良岡朋子
奈良岡朋子は父の影響で美術学校に進学
奈良岡朋子さんは父の影響で、大学は女子美術学校(東京都)に進学します。
学科は父が洋画家だったことから洋画科を専攻し、所属した演劇部では役者ではなく、当初は裏方で装置セットの絵を描いていました。
奈良岡朋子さんは美大在学中の1948年に『民衆芸術劇場付属俳優養成所』に1期生として入所し、1950年には『劇団民藝』の創設に参加しました。
画家ではなく演劇の道を志したため、奈良岡朋子さんの父は「演劇の合間に片手間で絵を描くくらいなら、やめろ」と筆を取り上げ、奈良岡朋子さんも「二度と絵は描かない」と生涯父との約束を守り通したそうです。
奈良岡朋子の兄も父の影響は受けていた?
奈良岡朋子さんの兄に関してはあまり情報がないのですが、少なからず洋画家の父の影響は受けていたことが考えられます。
理由は、兄の娘(奈良岡朋子さんの姪)である丹野郁弓さんが『劇団民藝』の演出家を務めているからです。
引用:SPICE掲載 丹野郁弓
演出家は舞台や映像作品において、その作品の芸術性・エンターテインメント性が高まるよう、役者への演技指導を行うほか、照明や美術、音響効果などの指示・決定を担当します。
芸術の才能が求められる演出家のお仕事を娘が行っているということは、少なからず奈良岡朋子さんの兄も芸術関係の道に携わっていたのかもしれません。
奈良岡朋子の家族構成は?
奈良岡朋子さんの家族構成は、確認できているのは父・兄・姪です。
引用:サンスポ掲載 奈良岡朋子
母親に関しての情報は見当たらなく、また生涯独身を貫いたため、夫や子供はいなかったようです。
奈良岡朋子さんは親交のあった若い役者からは母親のように慕われ、また自身も自分の子どものようにかわいがっていました。
中でも女優の大竹しのぶさんは「こういう子を養女にもらいたかった」と話していたほどです。
奈良岡朋子は生涯独身
日本を代表する名女優の奈良岡朋子さんが生涯独身で結婚しなかったのは、『劇団民藝』の師匠であり、兄のように慕っていた宇野重吉さんから「結婚すると声がぬかみそ臭くなるからするな」と言われたことが理由だとか。
以来、奈良岡朋子さんは「恋は舞台の上だけで、引きずらない」と独身を貫かれました。
「演劇と同じくらいのめり込める相手がいなかった」とも話している奈良岡朋子さんは、生涯で恋の噂が立った方もいなかったようです。
奈良岡朋子さんは父親のように、やると決めたらとことん突き進む性格の持ち主だったようですね。
奈良岡朋子は若手役者を子どもとして可愛がった
演劇が大好きな奈良岡朋子さんは『劇団民藝』の法人取締役と代表を務めました。
そのため所属する劇団員を父親のように大黒柱として支えながら、母親のような愛情で可愛がっていたそうです。
引用:ヤフーニュース掲載 奈良岡朋子
中でも1975年に放送されたNHK朝の連続テレビ小説『水色の時』で共演した大竹しのぶさんは「こういう子を養女にもらいたいと思ってた」と話していたほどだったとか!
NHKドラマ「水色の時」で共演した大竹しのぶ(65)には実の娘のように接していた。
引用:ヤフーニュース掲載 奈良岡朋子
引用:論座掲載 NHKドラマ「水色の時」出演時の大竹しのぶ
実際に奈良岡朋子さんは大竹しのぶさんを養女にはしていないものの、NHKドラマで共演以来、生涯実の母娘のようなお付き合いをされていました。
また、兄の娘である『劇団民藝』の演出家である丹野郁弓さんとも親交が深かったそうなので、姪を超えて実の娘のように可愛がっていたことが想像されますね。
奈良岡朋子の自宅の場所はどこ?
奈良岡朋子の自宅の場所は銀座一丁目にある高級マンションの『銀座タワー』だといわれています。
父・兄・姪以外は実の家族がいない奈良岡朋子さんですが、同じマンションには仲のいいお友達が一緒に住んでいたので、晩年はおひとり様でも楽しく過ごされていたことがわかります。
同じマンションに住んでいた方はこちらの3名です。
- テレビプロデューサー・演出家の石井ふく子さん
- 女優の若尾文子さん(故・黒川紀章の妻)
- 2019年5月12日に亡くなった女優の京マチ子さん
引用:ビッグローブニュースより 奈良岡朋子の自宅
(左奥から時計回りに奈良岡朋子さん、石井さん、若尾文子さん、京マチ子さん)
同じマンションで暮らしているといっても、べたべたしたおつきあいをしているわけではありません。普段はお互い、立ち入らないようにしています。ただ何か用事があれば連絡を取り合いますし、困りごとがあると、「どうしたらいいのかしら」と相談されたり。どこか具合が悪いといえば、お医者さんを紹介し、場合によっては病院に一緒に行くこともあります。
引用:ビッグローブニュースより 奈良岡朋子の自宅
キッカケは奈良岡朋子さんが石井ふく子さんに、「いいマンションができているみたい。あなた、ちょっと見てきてよ」といったことが始まり。
石井ふく子さんが内覧したその場で入所を即決し、それに奈良岡朋子さんが続きます。
その後石井ふく子さんが女優の京マチ子さんに声をかけ、最後には不動産屋からの紹介でたまたま引っ越してきた若尾文子さんが加わったそうです。
時にはお惣菜をドアノブにかけておすそ分けをしたり、お正月は4人で集まったりと素敵なご近所ライフを過ごしていたんだとか。
まとめ
今回は「奈良岡朋子は兄がいて父は洋画家!家族構成や自宅の場所はどこ?」と題してお送りしました。
奈良岡朋子さんは兄がいて、その娘で姪にあたる丹野郁弓さん(劇団民藝の演出家)が奈良岡朋子さんの葬儀の喪主をつとめました。
父は洋画家の奈良岡正雄さんです。
奈良岡朋子さんの家族構成は、父・兄・姪は判明していますが母親等の情報は見つかりませんでした。
また、奈良岡朋子さんは生涯独身を貫いたことで夫や子供はいませんでした。
奈良岡朋子さんの自宅は銀座一丁目にある銀座タワーで、同じ高級マンションには同じようにおひとり様女子のお友達が住んでいたそうです。
- テレビプロデューサー・演出家の石井ふく子さん
- 女優の若尾文子さん(故・黒川紀章の妻)
- 2019年5月12日に亡くなった女優の京マチ子さん