日本バレーボール男子代表で、所属する東レアローズでは主将を務めていた藤井直伸(ふじいなおのぶ)さんが胃がんのためお亡くなりになられました。
藤井直伸さんは日本バレーボール界の攻撃スタイルを変化させた先駆者として有名です。
現在までどのような経歴や生い立ちを辿ってきたのか調べたところ、かなりの苦労人だったことがわかりました。
さらに藤井直伸選手は2022年2月にステージ4の胃がんであることを公表し、SNSで闘病の様子やメッセージを発信し続けていましたがどうやら2023年年始から病状は悪化していた?
31歳という若さで旅立った藤井直伸さんの現在までについて、気になるアレコレをお伝えしていきます。
そこで今回は、
- 藤井直伸の現在までの経歴は?
- 藤井直伸の現在までの生い立ちが壮絶
- 藤井直伸の病気悪化は年始から?
についてお送りします。
藤井直伸の現在までの経歴は?
藤井直伸さんの現在までの経歴はこちらです。
引用:ヤフーニュース掲載 藤井直伸選手
2013年11月(21歳) | V・プレミアリーグ『東レアローズ』の内定選手となる |
2016-2017年(24-25歳) |
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2017年3月(25歳) |
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2018年(26歳) |
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2020-2021年(28-29歳) | シーズン選手間投票で「アタッカー&セッターのベストコンビNo.1」に選ばれる |
2021年(29歳) | 東京オリンピックメンバーに選出 |
2021-2022年(29-30歳) | シーズン選手間投票で「アタッカー&セッターのベストコンビNo.1」に2年連続で選ばれる |
藤井直伸選手は、サイド攻撃が主流だった日本のバレーボール界の攻撃を現在のをミドルも積極的に使っていく攻撃プレイスタイルに変えた日本バレーボール界の先駆者です。
2017年から日本代表メンバーに選出されたのも、他のセッターとは一味違う”ミドルを多用する選手”だったからと考えられ、東レアローズに所属するミドルブロッカー・李博(り はく)選手とは『ふじーりー』コンビで人気を博しました。
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アタッカー&セッターのベストコンビNo.1が決定🙌
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1位に選ばれたのは…#東レアローズ @toray_arrowsmen#李博#藤井直伸
選手のコンビ✨🌈2年連続で圧巻の1位😆
東レ富田選手からもう一度見たい!とコメント👏#Vリーグ #vleague pic.twitter.com/PEukqqeRLT— Vリーグ公式 (@vleague_or_jp) June 17, 2022
バレーボール界で有名な選手となる、高校生や大学生で日本代表入りを果たす方も多い中、藤井直伸さんは25歳で日本代表のメンバー入り。
意外と遅咲きのプレイヤーということで、苦労人だったことがわかりますね。
藤井直伸の現在までの生い立ちが壮絶
藤井直伸選手の現在までの生い立ちはこちらです。
引用:月間バレーボールバレ
1992年1月5日 | 宮城県石巻市雄勝町に生まれる |
1998年 | 桑浜小学校(現・石巻市立雄勝小学校)に進学 |
2004年 | 石巻市立大須中学校(現・雄勝中学校)に進学。スポーツ系のクラブ活動がバレーボールしかなかったため、バレーボール部に入部した。 |
2007年 | 宮城県内でバレーボール強豪校の宮城県古川工業高等学校に進学。 |
2010年 | 順天堂大学に進学。大学1年時に実家が東日本大震災で被災。津波で実家が流され、仮設住宅を転々とする。 |
東日本大震災で一時は実家が被災してバレーボール選手生命すら危うくなり、苦労が絶えなかったことがうかがえますね。
藤井直伸の現在までの生い立ち:出生~高校時代まで
藤井直伸選手は宮城県石巻市出身です。
実家から100メートル先が海だったため、幼い頃から海が藤井直伸選手の遊び場だったとか。
実は小学校までは野球一筋だった藤井直伸選手ですが、進学先の石巻市立大須中学校(現・雄勝中学校)には運動系のクラブ活動がバレーボールしかなかったので、中学校からはバレーボール部に所属します。
この時からポジションはセッターだったそうで、学校からの帰宅後も一生懸命自主練に励む努力家だったとか!
藤井直伸選手は、中学校3年生時の『全国都道府県対抗中学大会』ではセッターとして宮城県の代表選手に選ばれます。
そして中学卒業後は、バレーボールの強豪校・宮城県古川工業高等学校に進学し、国体で宮城県代表にも選ばれたりと、メキメキとバレーボールの頭角を現していきました。
現在大人気のマンガ『ハイキュー』は、藤井直伸選手の通った宮城県古川工業高等学校がモデルになっているんですよ!
国体に出たことがきっかけで就職の道から大学進学を決意して順天堂大学へと進学します。
藤井直伸の現在までの生い立ち:大学時代
藤井直伸の現在までの生い立ちで、大学は順天堂大学へと進学します。
引用:順天堂大学HPより
順天堂大学に進学をしてバーレーボールに打ち込んでいた藤井選手ですが、大学2年生になる直前に実家が東日本大震災で被災。
実家は津波で流され、また実家があった場所は災害危険区域に指定されて立ち入ることができなくなってしまいました。
この時春休みだった藤井直伸選手は、たまたま広島県で開催されていたバレーボールの合宿に参加していたため被災は免れます。
藤井直伸選手は実家が被災したことで家族は失職。
到底大学に通える状態ではなくなってしまい、バレーボールも諦めなければいけないかと考えていたそうです。
しかし、大学の被災者学生に対する学費免除の救済措置でなんとか大学には通い続けることができ、藤井直伸選手は大学4年生でやっとの思いでレギュラーをつかみ取ります。
そして卒業直前にはV・プレミアリーグの東レアローズから声がかかり、晴れてプロのバレーボール選手への道が開けました。
現在の日本バレーボール界の攻撃スタイルを大きく変えるきっかけになった藤井直伸選手。
もし救済措置が取られなくて大学に通い続けることができなかったら、現在の日本バレーボール界はまた変わっていたかもしれませんね。
藤井直伸の病気悪化は年始から?
2022年2月にステージ4の胃がんであることを公表し、現在まで懸命に治療に取り組んでいる様子がSNSで報じられてきた藤井直伸選手。
藤井直伸選手はインスタグラムとTwitterにてメッセージを発信してきていましたが、2023年1月5日の誕生日の更新をきかっけに更新がストップ。
こうしたことから、2023年年始頃から病状は悪化していたのではないかと予想します。
昨年末の試合から目の不調を感じており、なかなか症状が改善されず、様々な要因を探るべく検査入院したところ、僕の体に胃癌が見つかりました。目の症状は胃癌が脳の方にも転移していることが影響しているみたいです。転移は複数ある可能性があるとのことです。
以上のことから[胃癌 ステージ4]と診断されました事をご報告いたします。
2023年3月現在こちらの内容の投稿は確認できないため、おそらくインスタグラムのストーリー更新かと思われます。(インスタグラムの最終投稿は2022年12月22日)
22年2月27日にステージ4の胃がんと診断されたことを明かしたバレーボール男子日本代表セッターの藤井直伸(東レ)が5日に自身のインスタグラムを更新し、31歳の誕生日を迎えたことを報告した。
Twitterは2022年12月10日で更新が止まっています。
天皇杯の無料配信全く見れん。
いきなり重くなった🥲
なんか見れるのないですか?— 藤井直伸 (@nakkun0703) December 10, 2022
藤井直伸選手が妻の佐藤美弥さんと共に一生懸命にガンの治療に取り組む姿は、多くのファンやチームメイトが心を動かされて応援していただけに、本当に残念でなりません。
藤井直伸選手の現在までにたくさんのメッセージが送られたSNSアカウントはこちらです。
まとめ
今回は「藤井直伸の現在までの経歴生い立ちは苦労続き?病状は年始から悪化?」と題してお送りしました。
藤井直伸選手は日本バレーボール界の攻撃スタイルを変えた先駆者。
東レアローズでチームメイトの李博さんとともに「アタッカー&セッターのベストコンビNo.1」としてバレーボール界では有名な存在でした。
宮城県石巻市出身の藤井直伸選手は中学生でバレーボールを始め、高校はバレーボールで有名な宮城県古川工業高等学校に進学してメキメキと頭角を現します。
順天堂大学進学後、東日本大震災で実家が被災した際にはバレーを続けることが困難な状況にもありましたが、大学の救済措置で学校に通い続けることができたため、プロバレーボール選手になる道が開けました。
藤井直伸選手は2022年2月にステージ4の胃がんであることを公表。
現在に至るまで自身のSNSで闘病の様子やメッセージを発信し続けていました。
しかし、2023年1月5日の誕生日メッセージの更新を最後にSNS更新は途絶えてしまったため、2023年年始から病状が悪化したのではないかと予想します。
31歳という若さで旅立った藤井直伸さんは、若い頃から苦労が絶えなかったことがわかりましたね。
藤井直伸選手のご冥福をお祈りします。
現在に至るまで日本バレーボール界に大きく貢献してくださったことに感謝!