サッカー日本代表の森保一(もりやすはじめ)監督はJリーグの選手で初めて日本代表の監督になった人物です。
さて現役時代はどんな同期がいて、どんなポジションを守って背番号は何番をつけていた選手だったのでしょうか?
できることなら若かりし頃の現役時代の森保一監督の画像とかも見てみたいですよね!
そこで今回は、
- 森保一の現役時代同期はだれ?
- 森保一の現役時代のポジションは?
- 森保一の現役時代の背番号は?
- 森保一の現役時代の選手画像
についてお送りします。
森保一の現役時代同期はだれ?
森保一監督は1987~2003年の現役時代には、3つのチームと日本代表チームに所属していました。
では、各チーム所属時代の有名な同期を紹介していきたいと思います。
画像引用:ヤフーニュース掲載 森保一
1987~1992年1992~2001年 | マツダサンフレッチェ広島 |
1992~1996年 | 日本代表 |
1998年 | 京都パープルサンガ(レンタル移籍) |
2002~2003年 | ベガルタ仙台 |
森保一の現役時代同期①マツダ(現・サンフレッチェ広島)
森保一監督が最も長い現役時代を過ごしたマツダ(現・サンフレッチェ広島)で、同期だった人たちはこちらです。
- 風間八宏
- 河村孝
画像引用:Twitter掲載 森保一と現役時代同期だった風間八宏
風間八宏(かざまやひろ)さんは1979年FIFAワールドユース選手権の日本代表に高校生在学中に選出され、
「仙台向山高の鈴木淳、帝京高の名取篤、清水市立商業高校の風間八宏」
と、高校生トリオで一躍有名になった方です。
大学在学中には日本代表選手に選ばれ、卒業後は5年間にわたってドイツ・ブンデスリーガで活躍します。
1989年に帰国して日本サッカーリーグ2部のマツダSCに入部。
7歳年上ではあるものの、マツダ3年目で2部デビューをした森保一監督と同期になりました。
画像引用:Twitter掲載 森保一監督の現役時代に同期だった河村孝
河村孝(かわむらたかし)さんは高校卒業後の1987年に、マツダSC(現サンフレッチェ広島)に入団します。
森保一監督が入れなかった高校卒業内定5人枠を勝ち取った1人ですね!
1992年に日本でJリーグが発足すると横浜フリューゲルスに移籍し、その後は大塚製薬サッカー部(現徳島ヴォルティス)、福岡ブルックス(現アビスパ福岡)でプレーし、1995年に現役引退。
引退後は地元山口に戻り、FCレオーネ(現レオーネ山口)を立ち上げたりレノファ山口FC監督に就任したりと若手の育成に尽力しました。
森保一の現役時代同期②日本代表
森保一監督は現役時代の1992~1996年に、サッカー日本代表のメンバーとして活躍しました。
1992年にともに日本代表入りした同期はこちらの2人です。
- 前川和也
- 高木琢也
画像左:前川和也、右:高木琢也
前川和也さんと高木琢也さんは森保一監督とおなじ長崎県出身。
なんと2人とも、森保一監督が長崎日本大学高等学校時代にずっと勝てなかった長崎県立国見高校出身の選手です!
前川和也さんと高木琢也さんは森保一監督よりも1学年上で、前川和也さんは1986年にマツダに入団し、高木琢也さんはフジタ(現:湘南ベルマーレ)から1991年にマツダに入団していて、チームメイト3人で日本代表入りしました。
おそらくマツダの監督を務めた経験のある、当時の日本代表ハンス・オフト監督の采配だったと思われます。
また同期ではありませんが、森保一監督が日本代表として活躍した1992~1996年には今ではサッカー界のレジェンド級の方ばかりが揃っていたまさに黄金期!
日本サッカーの原点といっても過言ではない時代に森保一監督は選手として活躍していたのですね!
1992~1996年に森保一監督のチームメイトだった方はこちらです。
- 中山雅史(日本プロサッカー選手会名誉会長)
- 武田修宏(スポーツコメンテーター、タレント)
- 三浦知良(鈴鹿ポイントゲッターズ所属)
- 北澤豪(日本サッカー協会理事、タレント、サッカー解説者)
- ラモス瑠偉(サッカー指導者)
- 前園真聖(サッカー解説者、タレント)
- 本並健治(サッカー指導者、丸山桂里奈の夫)
森保一の現役時代同期③京都パープルサンガ
森保一監督は現役時代の1998年に1年間だけ、レンタル選手として京都パープルサンガに所属していたことがあります。
移籍理由はサンフレッチェ広島の経営難で、当初は恩師のハンス・オフト氏が監督を務める京都パープルサンガに完全移籍をする予定でした。
しかし、サンフレッチェ広島のサポーターからの猛反対で署名運動まで起こり、結果的に1年間だけのレンタル選手として京都パープルサンガに所属して広島復帰しました。
同期には元日本代表で共に戦った岩本輝雄さん、山田隆裕さん、黒崎久志さんがいます。
画像左:岩本輝雄、中:山田隆裕さん、右:黒崎久志
森保一の現役時代同期④ベガルタ仙台
森保一監督は現役時代の2002~2003年にベガルタ仙台に所属していました。
2002年にサンフレッチェ広島からはスタッフへの転進が打診された森保一監督でしたが、「まだ現役でやたい」という想いからベガルタ仙台へ移籍しました。
ベガルタ仙台の同期には、森保一監督とは時期が違うものの日本代表経験のある山下芳輝さんと小村徳男さん、ブラジルから来日したシルビーニョがいます。
画像左:山下芳輝、中:小村徳男、右:シルビーニョ
森保一の現役時代のポジションは?
森保一監督の現役時代のポジションは MF (ミッドフィルダー)です。
画像引用:Wikipedia掲載 森保一
森保一監督は特に守備に定評があった選手で、日本代表時代はボランチとして招集され「森保といえばボランチ」という言葉が定着しました。
オフトジャパン初戦のアルゼンチン戦で先発メンバーに抜擢され初出場を果たし、この際アルフィオ・バシーレ監督とクラウディオ・カニーヒアが“日本にはいいボランチがいる”と高く評価したことから、「森保」と「ボランチ」の名前が脚光を浴びることになる
ボランチとは、守備をしつつも相手のボールを奪い、味方へ攻撃の起点をつくっていく”チームの核”ともいえる重要なポジションです。
森保一の現役時代の背番号は?
森保一の現役時代の各チーム時代の背番号はこちらです。
画像引用:BESTTIMES掲載 森保一
マツダ、サンフレッチェ広島時代 | 7番 |
日本代表時代 | 6番、15番、17番 |
京都パープルサンガ | 7番 |
ベガルタ仙台時代 | 27番 |
最も長い現役時代を過ごしたサンフレッチェ広島では7番が森保一監督のレギュラー番号でした。
以降の所属チームでも森保一監督は「7」の数字が関係する背番号を付けていることが多いので、7という数字がお気に入りなようですね!
ちなみに2022ワールドカップ日本代表の7番はMFの柴崎岳選手でした。
柴崎岳選手は森保一監督と同じMFなので、森保一監督的にはちょっと特別な選手なのかもしれませんね。
背番号7番はかつて日本代表の中田英寿さんが愛用した番号なので、日本代表にとっても特別な番号であるともいえます。
また欧州サッカーの強豪チーム「マンチェスターユナイテッド」では、7番と言えば森保一監督とほぼ同期で活躍したエリック・カントナ、そしてデイビッド・ベッカムやクリスティアーノ・ロナウドと英雄とも呼べる面々が付けた背番号です。
サッカー界で「7」の背番号は、かなり特別な意味を持っていそうですね!
森保一の現役時代の選手画像
森保一監督の現役時代の画像を、所属チーム別にまとめてみました。
まず始めに、マツダ時代の森保一監督の画像がこちらです。
画像引用:スポーツナビ掲載 森保一のマツダ現役時代
続いてサンフレッチェ広島時代の森保一監督の画像がこちらです。
画像引用:NHK掲載 サンフレッチェ広島時代の森保一
次に、日本代表選手時代の森保一監督がこちらです。
こちらは「ドーハの悲劇」が起こった1993年の日本代表メンバーの画像です。
同期のメンバーや人気主力選手たちをみると、森保一監督は本当に凄い時代に日本代表で活躍していたことがわかります。
(森保一監督は17番の人物です)
画像引用:NHK掲載 日本代表時代の森保一監督
次は、京都パープルサンガ時代の森保一監督の画像がこちら。
画像引用:Twitter掲載 京都パープルサンガ現役時代の森保一
そして最後に、ベガルタ仙台時代の森保一監督の画像がこちらです。
まとめ
今回は「森保一の現役時代同期はだれ?ポジションや背番号、選手姿画像も!」と題してお送りしました。
森保一監督の現役時代に同期だった選手はこちらです。
- マツダ(サンフレッチェ広島):風間八宏、河村孝
- 日本代表:前川和也、高木琢也
- 京都パープルサンガ:岩本輝雄、山田隆裕、黒崎久志
- ベガルタ仙台:山下芳輝、小村徳男、シルビーニョ
また日本代表時代には同期ではないものの、チームメイトには日本サッカー界を作り上げたレジェンド級のメンバーが揃っていました。
森保一監督の背番号は6,7,15,17,27で、「7」の数字がお気に入りということもわかりました。