日本を代表する名アニメーション監督の山本二三(やまもとにぞう)さんがお亡くなりになられました。
数々のスタジオジブリの大作映画に携わり、他にも数えきれないほどの姪作品に携わってきた山本二三さんはどんな生い立ちを辿ってきたのでしょうか?
また、亡くなる現在までにどんな作品を手掛けてきたのかも気になります。
生い立ちと併せて山本二三さんの手掛けたアニメーション作品も調べてみました。
そこで今回は、
- 山本二三の生い立ちは?
- 山本二三の経歴は?
- 山本二三の現在までに制作したアニメが凄すぎる!
と題してお送りしていきます。
山本二三の生い立ちは?
アニメーション美術監督の山本二三(やまもとにぞう)さんの生い立ちはこちらです。
プロフィールと併せてご紹介していきますね。
名前 | 山本二三(やまもとにぞう) |
生年月日 | 1953年6月27日 |
没年月日 | 2023年8月19日(70歳没) |
出身地 | 長崎県五島市(旧福江市) |
職業 | ◆美術監督/アニメーション監督 ◆背景美術会社・絵映舎 代表 ◆京都造形芸術大学アニメディレクションコース客員教授 ◆東京アニメーションカレッジ専門学校講師 ◆五島市ふるさと大使 |
学歴 | 岐阜県立大垣工業高等学校 東京デザイナー学院(現東京ネットウエイブ) |
SNS | 山本二三Instagram |
山本二三の生い立ち①出生~島を出るまで
アニメーション美術監督の山本二三(やまもとにぞう)さんの生い立ちは、1953年6月27日に長崎県五島市(旧福江市)に生まれたところから始まります。
山本二三さんのご実家は農家で、山本二三さんは小さい頃から畑仕事や牛の世話、そして収穫した野菜をリヤカーに乗せて町へ売りに行くお手伝いをしていました。
小さい頃に母親が畑仕事の合間に磯で遊んでくれたのが嬉しい思い出だったんだんだとか。

自然いっぱいの環境で育った山本二三さんは海で泳いだり山に登ったりと、とっても活発に遊び回る少年時代を送っていたそうですよ。
また山本二三さんは子供の頃から絵を描くことが得意で、
「将来は絵を描く仕事がしたい」
と小さい頃から思い描いていました。
中学生の時には学校での体育館で高畑勲監督のアニメーション映画『わんぱく王子の大蛇退治』という作品を観て「こんなきれいな世界があるのか」と感銘をうけ、ますます絵を描く仕事に対しての思い入れが強くなっていきます。
山本二三さんは地元の中学校を卒業後、1人で島を出て岐阜県の高校へと進学します。
山本二三の生い立ち①高校進学~就職するまで
アニメーション美術監督の山本二三(やまもとにぞう)さんの生い立ちで、高校は単身で福江島を出て、岐阜県立大垣工業高等学校の夜間学部に入学して建築と絵画を学びます。
高校卒業後は上京し、東京デザイナー学院(現東京ネットウエイブ)へ進学。
在学中からアニメーションの美術スタジオで働き始め、アニメーションの背景画の仕事を手掛けるようになります。

学生時代からアニメーションの背景画を描くお仕事をされていたなんて、本当に絵を描くことが大好きだったのでしょうね!
山本二三の経歴は?
山本二三(やまもとにぞう)さんの経歴は、東京デザイナー学院(現東京ネットウエイブ)卒業後に東映系の美術スタジオを経て日本アニメーションへ入社するところから始まります。
その後テレコム・アニメーションフィルムに移籍し、32歳で宮崎駿監督に誘われる形でスタジオジブリへ入社。
以降スタジオジブリの主要作品の背景画を手掛けていきます。
2006年に背景を担当した『時をかける少女』以降、山本二三さんの描く迫力のある雲は「二三雲」と呼ばれるように。
2011年に開催された作品展では記録的な来場者数を打ち立て、2018年には生まれ育った長崎県五島市の福江島に「山本二三美術館」がオープンしています。
引用:ナタリー掲載 山本二三
山本二三の経歴:美術監督全盛期
山本に増産の経歴は日本アニメーションに入社したところから始まります。
山本二三さんは24歳という若さで、宮崎駿監督が演出を手掛けたNHKテレビアニメ『未来少年コナン』の美術監督へと大抜擢!
その後山本二三さんはテレコム・アニメーションフィルムに移籍し、宮崎駿監督が手掛けた超大ヒットアニメ映画『ルパン三世 カリオストロの城』の背景アニメーションを担当。
また、映画『じゃりン子チエ』では美術監督を務めました。

後にスタジオジブリに入社する山本二三さんと宮崎駿監督の出会いはここだったのですね!
引用:絵快舎より 山本二三
そしてその後の1985年、32歳で宮崎駿監督に誘われて『天空の城ラピュタ』の制作に参加するためにスタジオジブリに入社。
スタジオジブリに入社後は、山本二三さんは現在までに多くの高畑勲監督や宮崎駿監督の作品に美術監督や背景アニメーション担当として参加しました。
宮崎駿監督「天空の城ラピュタ」「もののけ姫」、高畑勲監督「火垂(ほた)るの墓」、細田守監督「時をかける少女」など、数え切れないほどの人気アニメ映画で美術監督を務めた。
しかし…
山本二三さんはジブリ映画『もののけ姫』を手掛けた後に完全燃焼したと感じ、生まれ育った長崎県五島市によく似た自然がいっぱいある環境の埼玉県飯能市に引っ越しをしたことをキッカケに、スタジオジブリを辞めてしまいます。
『もののけ姫』で完全燃焼したので、引っ越しをして環境を変えようと、眺めもよく条件も合った現在の土地に自分で設計図を描き、家を建てました。それからジブリを辞め、この自宅のアトリエで仕事をするようになりました」
引用:はんのーと掲載 山本二三
一度ジブリを辞めたものの、山本二三さんは『千と千尋の神隠し』の製作現場に呼び戻されます。
その際に描いた背景は、飯能の大自然からインスピレーションを受けて描かれたそう。
引用:はんのーと掲載 山本二三
山本二三の経歴:”二三雲”の誕生
山本二三さんの生い立ちや経歴、人生を語る上で欠かせないのが「二三雲」です。
山本二三さんは2006年に公開されたアニメ映画『時をかける少女』で美術監督を務めたのですがその際に監督の細田守さんから、
「『天空の城ラピュタ』のあの雲を表現してほしい」
という要望を受けます。
山本二三さんは作品を印象付けるために夏の青空を背景とし、モクモクとした迫力のある特徴的な雲を描きました。
この迫力ある独特の雲の描き方が大きな注目を集め、以降山本二三さんが描く雲は「二三雲」と呼ばれるようになりました。
ボリューム感のある雲の描き方に独特のスタイルがあり、「二三雲」と呼ばれている。
山本二三さんはこの『時をかける少女』の作品で、第12回AMD Award’06大賞/総務大臣賞を美術監督として受賞しました。

現在では山本二三さんの描く「二三雲」は視聴者のみならず、アニメ関係者にもたいへんファンが多いそうです。
なんと……まだまだ進化し続ける二三雲を見ていたかった…… pic.twitter.com/77zUIufhUS
— ハヤブサ320🐟10周年 (@NicoHaya398) August 20, 2023
山本二三の、「ラピュタ」に代表される精細なグラデーションの雲を「二三雲」と言うらしいのもはじめて知った。ラピュタの頃は「宮崎さんの雲が描けなくてイライラしました」と言っていたのが印象深かった。後には彼の名を冠するようになる。クリエイター冥利と言っていいのではないか。 pic.twitter.com/3P9fOZIT8W
— ゾルゲ市蔵 (@zolge1) August 21, 2023
山本二三の経歴:晩年
山本二三さんは数々の名作アニメを手掛けた監督として経歴を重ね、日本を代表する美術監督になります。
2011年の7月~9月に神戸ビエンナーレ2011のプレイベントで開催された「日本アニメーション美術の創造者 山本二三展」で、来場者数が約8万5千という記録を打ち立てます。
そして2018年には、生まれ育った長崎県五島市の福江島に「山本二三美術館」がオープン。

現在では多くの観光客が訪れる人気の場所になっているそうです。
建物名 | 松薗邸(山本二三美術館) |
住所 | 〒853-0017 長崎県五島市武家屋敷2丁目2−7 |
ウェブサイト | 山本二三美術館 |
電話番号 | 0959763923 |
開館時間 | 9:00~18:00(月曜日定休) |
公式SNS | 山本二三美術館Twitter |
その後、出身地の五島列島を100点描いた作品群「五島百景」が10年の年月をかけて2021年に完成しました。
山本二三の現在までに制作したアニメが凄すぎる!
山本二三さんが亡くなる現在までに制作したアニメがとにかく凄すぎます。
山本二三さんの経歴から生涯に手掛けた有名なアニメ作品を調べてみました。
引用:はんのーと掲載 山本二三
1978年 | 未来少年コナン | 美術監督 |
1978年 | 赤毛のアン | 背景 |
1979年 | ルパン三世 カリオストロの城 | 背景 |
1980年 | ルパン三世(TV第2シリーズ) | 背景 |
1981年 | じゃりン子チエ(劇場版) | 美術監督 |
1984年 | 名探偵ホームズ | 背景 |
1986年 | 天空の城ラピュタ | 美術監督 |
1988年 | 火垂るの墓 | 美術監督 |
1990年 | それいけ!アンパンマン ばいきんまんの逆襲 | 背景 |
1991年 | おもひでぽろぽろ | 背景 |
1995年 | 耳をすませば | 背景 |
1997年 | もののけ姫 | 美術監督 |
2001年 | 千と千尋の神隠し | 背景 |
2005年 | あらしのよるに | 背景 |
2005年 | 劇場版 鋼の錬金術師 シャンバラを征く者 | 背景協力 |
2006年 | 時をかける少女 | 美術監督 |
2007年 | ミヨリの森 | 監督 |
2010年 | GLAY 『Je t’aime』(ミュージックビデオ) | 背景 |
2014年 | ばらかもん | |
2019年 | 天気の子 | 気象神社絵画・天井画 |

なんとGLAYのミュージックビデオまで手掛けていたなんて驚きですね!
山本二三さんの生い立ちからもわかるように、生まれ育った長崎県五島市や、自宅を建てた埼玉県本能氏の大自然の中で暮らしてきた経験が日本アニメには欠かすことのできない素晴らしい背景アニメーションを生んできました。
70歳という早すぎるお別れはまだまだ山本二三作品を見たかったファンからすれば本当に残念でなりませんが、今は「お疲れさまでした」と天国でゆっくり休んでいただきたいですね。
引用:テレビ長崎より 山本二三
まとめ
今回は「山本二三の生い立ちは?現在までに制作したアニメが凄すぎる!」と題してお送りしました。
アニメーション美術監督の山本二三(やまもとにぞう)さんの生い立ちをまとめるとこちらです。
◆大自然いっぱいの環境で中学生まで地元で過ごす
◆高校は岐阜県の夜間高校に通い、建築・絵画を学ぶ
◆高校卒業後上京し、東京デザイナー学院(現東京ネットウエイブ)に進学
◆東京デザイナー学院在学時からアニメーションの美術スタジオで働き始め、アニメーションの背景画の仕事を手掛けるようになる
◆卒業後は東映系の美術スタジオを経て日本アニメーションへ入社し、テレコム・アニメーションフィルムに移籍した後にスタジオジブリに就社
◆2006年に手掛けた『時をかける少女』で依頼された”雲”の要望から、以降山本二三が手掛ける作品の雲は「二三雲」と呼ばれる
◆2018年に2カ月間開催された「日本アニメーション美術の創造者 山本二三展」で、来場者数約8万5千という記録を打ち立てる
◆2021年には地元・五島列島を描いた作品群「五島百景」が10年の時をかけて完成