ジャニーズ会見で司会を務めていたことで「久しぶりにみた!」と話題になっている松本和也さん。
かつてはNHKのエースアナウンサーで「英語でしゃべらナイト」「のど自慢」「紅白歌合戦」などの有名番組の司会アナウンサーとして大活躍していましたよね!
しかし、そんな人気絶頂の中突然体調不良を理由に番組を降板し、2016年にNHKを退社してしまいました。
一体何の病気だったのか調べている人が多数いたので調べたところ、松本和也さんは心身の不調が原因でNHKを退職されたことが判明。
一体なぜ病気になってしまったのか、松本和也さんの経歴について深く調査してみました。
また、松本和也さんは現在コンサルの会社を経営している情報も見つかりましたので併せてお届けしていきますね。
そこで今回は、
- 松本和也の病気は心身の不調!
- 松本和也はNHK退職後の現在コンサル会社経営
についてお送りします。
松本和也の病気は心身の不調!
ジャニーズ会見で司会を務めていた松本和也さん。
NHKのエースアナウンサーと評判で「英語でしゃべらナイト」「のど自慢」などの有名番組の司会アナウンサーとして大活躍していたなか、突然体調不良を理由に2016年にNHKを退社てしまいました。
松本和也さんが何の病気なのか調べたところ、どうやら心身の不調が原因で体調を崩されていたようです。

ハッキリと病気の名前は明らかにされていませんが、おそらく鬱のような症状だったのではないかと推測します。
引用:Yahoo!ニュース掲載 元NHKアナウンサー松本和也
松本和也さんが病気で体調不良となった経緯をまとめるとこちら。
◆もともとNHKは”記念受験”のようなもので長く働く気はあまりなかった
◆最初の配属先は奈良支局入局で、4年目で阪神淡路大震災が起こりその日のうちに被災地へリポーターとして派遣される
◆被災現場の悲惨さを目の当たりにし、心の片隅に「僕の仕事は本当に困ってる人を救ってないかも」という葛藤が生じるように
◆その後、福井支局を経て東京の本局へ異動。「英語でしゃべらナイト」をきっかけに人気アナウンサーに
◆2007年・2008年「紅白歌合戦」の総合司会、2010~2011年「のど自慢」の司会を任されてNHKの看板アナウンサーになる
◆実は「のど自慢」のような生放送は大の苦手だったが、なんとか必死に笑顔で務める日々が続く
◆たまたま居合わせた福島県郡山市で東日本大震災に被災。阪神淡路大震災で感じた「報道の仕事に向いていない」いう違和感がフラッシュバック
◆苦手な生放送の仕事をこなす日々も相まって、完全に心のバランスを崩してしまう
◆2011年7月に新番組や「のど自慢」を降板し現場を離れる
松本和也の病気の”芽”は阪神淡路大震災で生じた
松本和也さんの心身の不調をきたすようになる「病気の芽」が生じたのは、NHKアナウンサーになって間もない頃でした。
兵庫県神戸市生まれの松本和也さんは、灘高校から一浪して京都大学経済学部に進学します。
卒業後の1991年に記念受験したNHKのアナウンサーに合格し、最初は断ろうとしていたところ「1年やってみてダメなら辞めてもいいよ」といわれて入社を決意。
最初の配属先は奈良支局でした。

実は関西の鉄道会社が本命だったんだとか。ちなみに同期は『NEWS ZERO』の司会で有名な有働由美子アナウンサーです。
入局4年目の1995年。
阪神淡路大震災が起こり、松本和也さんはその日のうちに被災地へリポーターとして派遣されることになります。
たまたま母校の灘高校そばのリポート現場で恩師と再会すると、「そんなこと(被災地リポート)してる場合じゃなくて被災地の支援を手伝え!」と言われたことで「自分の仕事は誰かの助けになっているのだろうか?」と仕事に対する心の葛藤が生まれるようになったそうです。
「最初のリポートは母校・灘高のそばのマンション倒壊現場でした。で、準備をしていましたら高校時代の恩師に声をかけられたんです。『母校の体育館が遺体収容所になってるから手伝え。そんなこと(現場リポート)してる場合じゃないだろ』と。さすがにお断りしましたが、心の片隅に『僕の仕事は本当に困ってる人を救ってないかも』という、心の葛藤が生じました」
福井支局を経てNHK本社へ
松本和也さんは「病気の芽」を何となく心に抱えたまま、福井支局勤務を経てNHK本社(東京)へと転属します。
が、この転勤が病気をエスカレートさせてしまうことに…。
松本和也さんは2001~2007年にNHKの人気番組『英語でしゃべらナイト』の司会を務め、司会が好評だったことをきっかけに大番組の司会者へと抜擢され、NHKの看板アナウンサーの道を進んでいきます。
◆「紅白歌合戦」(2007・2008年)
◆「のど自慢」(2010~2011年)

NHKの「のど自慢」の司会者といえば、NHKアナウンサーにとっては最大級の栄誉ともいえるほどの大役なんだそうです!
『のど自慢』の司会は、古くは宮田輝、高橋圭三の両氏が務め、近年は宮本隆治氏らが担当。NHKアナウンサーにとっては最大級の栄誉で、松本氏は若きエースだった。
しかし、松本和也さんは実は約束事の多い生放送が大の苦手。
「できません」とは言っていられないので、無理矢理笑顔を作って毎週の「のど自慢」の生放送の仕事をこなしていったそうです。
松本和也は東日本大震災をきっかけに休養へ
松本和也さんは2011年3月11日、13日に福島県田村市で開催される「のど自慢」の会場へ向かう途中のJR郡山駅で東日本大震災に被災します。
NHK本社からはそのまま福島の支局で助っ人としてラジオの仕事を命じられるものの、2日後の13日に「東京へ戻れ」と再び社命が下り、日本中が大震災で悲しみを抱える中、次ののど自慢の現場へ向かえとの指示が下されます。
しかし、「今までのように明るく進行するのは難しい」と感じた松本和也さん。
東日本大震災をきっかけに過去の阪神大震災の時に抱いた「自分の仕事は誰かの助けになっているのだろうか?」という葛藤がフラッシュバックし、完全に心のバランスを崩してしまうことになります。
「被災地では依然、死と隣り合わせの状況なのに、翌週は大分県でいつも通りに『のど自慢』を放送すると。業務ですから仕方ないのですが、今までのように明るく進行していける気がせず、本番を迎えるのがつらく思うようになりました」
東日本大震災から約4か月後の2011年7月8日に新番組『セカイでニホンGO!』の会見を病気による体調不良で中止し、3日後の11日には「のど自慢」の司会を降板することが発表。
2012年には休養から復帰するものの、アナウンサー職を離れてNHK放送文化研究所専任研究員となります。
松本和也はNHK退職後の現在コンサル会社経営
松本和也さんはNHK放送文化研究所専任研究員を5年間務めた後、2016年に退職をして同年にコンサル会社『マツモトメソッド』を設立して現在に至ります。
また現在自分の会社を運営するかたわらで、ナレーターとして青二プロダクションにも所属しています。
2016年6月にNHKを退職して7月に音声表現コンサルタント『マツモトメソッド』代表取締役としてコミュニケーション・コンサルティング事業を始める。2016年9月20日にナレーターとして青二プロダクションに所属する。
松本和也のコンサルタント会社『マツモトメソッド』
松本和也さんは病気をきっかけにNHKを退職後、コンサル会社『マツモトメソッド』を設立しました。
現在松本和也さんはこちらの会社で代表取締役をつとめています。
『マツモトメソッド』は”音声表現コンサルタント”として話し方だけのコンサルティングではなく、原稿・文章レベルから指導をして短期間でスピーチ能力を向上させることを目指しているそうです。
元NHK人気アナウンサーのコンサルというだけあり、かなり人気なコンサルなことがホームページからも伝わってきます。

こうして”話すこと”を生業にしているため、今回10月2日に開催されたジャニーズ会見の司会を務めることになったのかもしれませんね。
引用:Yahoo!ニュース掲載 元NHKアナウンサー松本和也
松本和也所属の青二プロダクション
NHK退職後、現在松本和也さんは「マツモトメソッド」で代表取締役を務めるかたわらでナレーションの仕事をするために青二プロダクションにも所属しています。
NHKを退職したのと同じ2016年から青二プロダクションに所属し、ナレーター業も行っているようです。
引用:『マツモトメソッド』より
松本和也さんは病気で体調を崩したきっかけの1つが”生放送”だったため、こうしたナレーターのお仕事はじっくりと台本と向き合ってできるので好きな仕事なのかもしれませんね。
まとめ
今回は「松本和也の病気は心身の不調!NHK退職後の現在はコンサル会社経営」と題してお送りしました。
松本和也さんの病気は心身の不調です。
ハッキリとした病名は明かされていませんが、おそらく鬱病だったのではないかと推測します。
松本和也さんがNHK退職に至るまでの病気井夜新進不調はこのような経緯で起こりました。
◆もともとNHKは”記念受験”のようなもので長く働く気はあまりなかった
◆最初の配属先は奈良支局入局で、4年目で阪神淡路大震災が起こりその日のうちに被災地へリポーターとして派遣される
◆被災現場の悲惨さを目の当たりにし、心の片隅に「僕の仕事は本当に困ってる人を救ってないかも」という葛藤が生じるように
◆その後、福井支局を経て東京の本局へ異動。「英語でしゃべらナイト」をきっかけに人気アナウンサーに
◆2007年・2008年「紅白歌合戦」の総合司会、2010~2011年「のど自慢」の司会を任されてNHKの看板アナウンサーになる
◆実は「のど自慢」のような生放送は大の苦手だったが、なんとか必死に笑顔で務める日々が続く
◆たまたま居合わせた福島県郡山市で東日本大震災に被災。阪神淡路大震災で感じた「報道の仕事に向いていない」いう違和感がフラッシュバック
◆苦手な生放送の仕事をこなす日々も相まって、完全に心のバランスを崩してしまう
◆2011年7月に新番組や「のど自慢」を降板し現場を離れる
松本和也さん2016年にNHKを退職すると、コンサル会社『マツモトメソッド』を設立。
現在松本和也さんはこちらの会社で代表取締役をつとめています。
また『マツモトメソッド』で代表取締役を務めるかたわらで、松本和也さんはナレーションの仕事をするために青二プロダクションにも所属しています。